ゆるふわロシア

ロシア語を学ぶうさぎです。読んだ本の感想とか、ロシア語学習の状況とかあげてます。

2年目の春休み読書1 『それぞれの少女時代』(リュドミラ・ウリツカヤ)

それぞれの少女時代 (群像社ライブラリー)

それぞれの少女時代 (群像社ライブラリー)

春休みに入って読んだ本第一号。
ペレーヴィンの『宇宙飛行士オモン・ラー』の奥付で見かけてからずっと読みたかったのだけど、やっと読む機会を得ることができた。

宇宙飛行士オモン・ラー (群像社ライブラリー)

宇宙飛行士オモン・ラー (群像社ライブラリー)

舞台はスターリン時代のモスクワ。「親愛なる同志スターリン」の元で、大人たちは隣人の密告に怯えたり、大事なものを失ったり、うまく利用したりしながら過ごしていた。
この物語は、そんな灰色の時代の元で暮らす少女たちの姿を描いている。
私が印象的だったのは、ターニカという少女の話だ。
彼女はモスクワの貧しい家庭に育った。彼女はいつも学校の食堂で「無料配給」を受け、学用品は父母会の寄付に頼っているが、それでも幾つか足りないものがある。そのうえ彼女は勉強もあまり得意ではなく、成績は落第点ばかり。いつもどこかおびえていて、ぼんやりしている彼女は、取るに足らない存在として扱われている。
そんな彼女が主人公となるのが、本書最後の短編である「かわいそうで幸せなターニカ」という作品だ。
13歳になったターニカは、新しく赴任してきたドイツ語の女教師に恋をする。先生のことが好きで仕方がないターニカは、帰りに先生の後をつけていって、貧しくて惨めな自分の生活とはかけ離れた先生の私生活を目撃する。将軍の夫との生活に満足していない先生は、学校からの帰り道、別の男と逢引し、浮気を繰り返している。ターニカはその現場を何度も目撃するが、ターニカはそれさえも、「自分の住む世界とは別世界の天国」のようだと感じ、ますます先生に対して憧れを抱くようになる。
ある日、ターニカは国際婦人デーに先生に花を贈ろうと思い立つ。しかし、いざ花屋に行ってみると、一番安い花でもターニカの小遣いでは手の届かないものだということに気づく。それでもどうにかして花を手に入れたいターニカは、障害者の叔母の手伝いをして小遣いをかせごうとするが、それでもまだ足りない。困り果てたターニカは、姉にどうしたら良いか相談する。お金が欲しいというターニカに姉は言う。「それじゃあ身体を売るしかないよ」と。
突然の提案にターニカは大きくおどろくこともなく、姉の紹介したロクデナシの男に処女を捧げ、花を売るための資金を稼ぐことに成功する。
そして花を買ったターニカは、それを先生の家の扉の前においていく。先生がその花を手にして、喜ぶことを夢見ながら。
しかし、現実はターニカの思うようにはならなかった。ターニカの花は、帰宅した先生に抱き上げられるが、その後の夫婦喧嘩のせいで床に放り出され、やがて忘れ去られてしまう。そのことに、ターニカはまったく気づかない。
やがてターニカは驚くほどの美人に成長するが、誰にも見向きされることもなく過ごす。ターニカはパーティーで知り合ったスウェーデン人のさえない男と結婚し、スウェーデンへと渡る。結婚はしたものの、ターニカは夫を愛することはなかった。
そうして物語はこうしめくくられる。「みんな、ターニカのことを幸せだといっている」

ターニカの何が「かわいそう」でなにが「幸せ」なのか。
それは彼女が「無知」であるということだろう。
確かにターニカは身体を売り、処女をなくすという「不幸な」体験をした。しかし、それは彼女にとって不幸ではない。彼女にとっては先生に花を贈ることこそが幸せなのだから。
彼女の贈った花は、夫婦喧嘩で打ち捨てられてしまったけれど、それを知らない彼女は、幸せな気持ちだけを持ち続けている。
そして、かわいそうで、幸せな彼女は、愛していない男に愛され、「幸せ」な生活を送ることになる。
スウェーデンに渡ったターニカが真っ先に買ったのは、あの憧れの先生の着ていた服を模した服だった。
結婚後のターニカの幸せは、満たされない結婚生活を送っていた先生と重なるものがある。
ソ連社会では、将軍と女性教師の夫婦というのはというのは、絵に描いたような理想的で幸せな夫婦の肖像そのものであった。しかし、その幸せとは張りぼてのように空疎なものであって、なんの内実も伴っていない。ターニカがそんな先生の服を纏っているのは、彼女も同様に空虚な結婚生活を送ることを暗示しているように思われた。